羽柴秀長はなぜ小牧・長久手の膠着を打開できたのか|1584年の伊勢戦線を史料で整理する
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、羽柴秀長は伊勢戦線と織田信雄との交渉役を担ったとされます。長久手の大敗から11月の単独講和までの流れを、史料の確度別に整理します。

天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、羽柴秀長は伊勢戦線と織田信雄との交渉役を担ったとされます。長久手の大敗から11月の単独講和までの流れを、史料の確度別に整理します。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、羽柴秀次は約2万の三河中入り軍の総大将に据えられながら白山林で奇襲を受け、池田恒興・森長可を失う大敗を喫しました。なぜ秀吉の甥が総大将だったのか、なぜ崩れたのかを、自治体史料や研究の到達点をもとに確度を分けて整理します。
柴田勝家の養子でありながら長浜城を秀吉に明け渡した柴田勝豊。なぜ養父を裏切る形になったのかを、同時代の記録『柴田退治記』と研究者の解説から整理し、賤ヶ岳の戦いへの影響、開城日をめぐる未確定点、ゆかりの地までを解説します。