柴田勝豊はなぜ養父・柴田勝家を裏切ったのか|長浜城開城の史実を整理する
柴田勝家の養子でありながら長浜城を秀吉に明け渡した柴田勝豊。なぜ養父を裏切る形になったのかを、同時代の記録『柴田退治記』と研究者の解説から整理し、賤ヶ岳の戦いへの影響、開城日をめぐる未確定点、ゆかりの地までを解説します。

柴田勝家の養子でありながら長浜城を秀吉に明け渡した柴田勝豊。なぜ養父を裏切る形になったのかを、同時代の記録『柴田退治記』と研究者の解説から整理し、賤ヶ岳の戦いへの影響、開城日をめぐる未確定点、ゆかりの地までを解説します。
佐久間盛政が秀吉の助命を断って死んだという逸話は、近世の軍記物に由来し同時代史料の裏づけがありません。賤ヶ岳の戦いから処刑までの流れを、確かめられる事実と後世の脚色に分けて整理します。
賤ヶ岳の七本槍は同時代の記録では9人だった。外された桜井佐吉・石河兵助は誰か、なぜ7人に絞られたのか。福島正則・加藤清正ら7人の武功と、関ヶ原を経てたどり着いた場所を史料から整理します。
賤ヶ岳の戦いで前田利家はなぜ柴田勝家のもとを離れたのか。利家と勝家・秀吉それぞれの関係、戦いに至るまでの経緯を史料にもとづいて整理し、「裏切り」と語られる出来事が実際にはどう記録されているのかを確認します。
お市の方はなぜ三人の娘だけを城から出し、自分は柴田勝家と共に自害したのか。最期を伝える『渓心院文』の記述、勝家と再婚した理由、勝家が秀吉と戦うに至った経緯を史料の確度を分けて整理します。