真田十勇士は本当に実在したのか|史料からわかること
真田十勇士は実在したのか。猿飛佐助や霧隠才蔵の武勇伝は大正期の講談本「立川文庫」の創作と考えられています。名前が江戸期の軍記物にさかのぼる4人、真田家が実際に使った「忍び」、出浦昌相をめぐる論争まで史料から整理します。

真田十勇士は実在したのか。猿飛佐助や霧隠才蔵の武勇伝は大正期の講談本「立川文庫」の創作と考えられています。名前が江戸期の軍記物にさかのぼる4人、真田家が実際に使った「忍び」、出浦昌相をめぐる論争まで史料から整理します。
幼なじみの盟友だった大久保利通と西郷隆盛は、なぜ対立したのか。明治六年政変(征韓論)での「内治優先」の判断、事典でも割れる「出兵か使節派遣か」の論点、西南戦争での大久保の立場まで、年表と典拠つきで史実を整理します。
伊藤博文はなぜハルビンで暗殺されたのか。1909年10月26日の事件に至る経緯を年表で整理し、確定した史実と、安重根の評価や伊藤の対韓政策をめぐって見解が分かれる点を、史料の確度とあわせて解説します。
徳川慶喜はなぜ戦わずに政権を返上し、江戸城を明け渡したのか。大政奉還、鳥羽・伏見の戦い後の大坂城脱出、江戸城無血開城の3つの場面を史料と研究者の見解で整理し、「敵前逃亡」と「内乱回避」に評価が分かれる理由を解説します。
茶々(淀殿)はなぜ父母の仇とされる秀吉の妻になったのか。小谷城・北庄城の落城から鶴松・秀頼の誕生までを年表で整理し、時期をめぐる黒田基樹説・福田千鶴説や「側室ではなく別妻」とする研究も両論併記で紹介します。
西郷隆盛はなぜ西南戦争を起こしたのか。明治六年政変での下野、私学校の設立、弾薬庫襲撃事件までの経緯を年表で整理し、「征韓論者」像や肖像画、暗殺計画の自白など通説と史実の違い、研究者の間で分かれる論点もわかりやすく解説します。
坂本龍馬はなぜ暗殺されたのか。近江屋事件の経緯を年表で整理し、実行犯とされる京都見廻組説の根拠、薩摩藩・紀州藩などの黒幕説が未確定である理由、船中八策をめぐる研究、ゆかりの地まで史料に沿って解説します。
関ヶ原の戦いで勝った徳川家康は、なぜ豊臣家をすぐに滅ぼさなかったのか。秀頼の65万石への縮小、官位の推移、千姫の婚姻、二条城会見、方広寺鐘銘事件まで、大坂の陣に至る経緯を年表と史料・研究者の見解で整理します。
真田信繁(幸村)はなぜ大坂の陣で豊臣方についたのか。九度山での14年の蟄居、秀頼方からの誘いと支度金、「信濃一国」勧誘の逸話の真偽、恩義説と武名説の両論まで、史料で確かめられることと後世の物語を分けて整理します。
伊達政宗が隻眼になった理由は、5歳頃にかかった疱瘡(天然痘)による右目の失明と考えられています。自ら目を潰した逸話や「独眼竜」・眼帯のイメージがどこまで史実なのか、遺骨調査や伊達家の記録から整理します。