大久保利通はなぜ紀尾井坂で暗殺されたのか|西南戦争後の士族の不満など4つの要因を史実で整理する
大久保利通はなぜ暗殺されたのか。明治11年5月14日の紀尾井坂の変を、斬奸状に示された藩閥専制への批判、秩禄処分による士族の困窮、西南戦争の結末という複数の要因から、事典・研究者の解説をもとに整理します。確認できない俗説との区別も解説します。

大久保利通はなぜ暗殺されたのか。明治11年5月14日の紀尾井坂の変を、斬奸状に示された藩閥専制への批判、秩禄処分による士族の困窮、西南戦争の結末という複数の要因から、事典・研究者の解説をもとに整理します。確認できない俗説との区別も解説します。
邪馬台国はどこにあったのか、卑弥呼は誰だったのか。『魏志倭人伝』に書かれた事実と、畿内説・九州説など研究者の間で分かれる論点を分けて整理。箸墓古墳や記紀の人物への比定説も、断定せずに根拠とともに解説します。
北条政子が「尼将軍」と呼ばれた理由を史実で整理します。政子は将軍職に就かず、頼朝の死後に出家した「後家尼」の立場から幕府を主導しました。呼び名が同時代のものではない点、承久の乱の演説の実際、比企能員の変をめぐる諸説まで解説します。
聖徳太子は実在したのか。厩戸皇子という皇族の実在と「聖徳太子」として伝わる人物像を分け、日本書紀・懐風藻などの史料と、大山誠一氏の虚構説をめぐる論争の現在地を整理します。
岩倉使節団はなぜ欧米へ渡ったのか。廃藩置県直後の政治状況、明治5年に迫った条約改正の期日、アメリカでの全権委任状問題から派遣の理由を整理し、条約改正の不成功と帰国後の影響、評価が分かれる論点まで史料に沿って解説します。
真田十勇士は実在したのか。猿飛佐助や霧隠才蔵の武勇伝は大正期の講談本「立川文庫」の創作と考えられています。名前が江戸期の軍記物にさかのぼる4人、真田家が実際に使った「忍び」、出浦昌相をめぐる論争まで史料から整理します。
幼なじみの盟友だった大久保利通と西郷隆盛は、なぜ対立したのか。明治六年政変(征韓論)での「内治優先」の判断、事典でも割れる「出兵か使節派遣か」の論点、西南戦争での大久保の立場まで、年表と典拠つきで史実を整理します。
伊藤博文はなぜハルビンで暗殺されたのか。1909年10月26日の事件に至る経緯を年表で整理し、確定した史実と、安重根の評価や伊藤の対韓政策をめぐって見解が分かれる点を、史料の確度とあわせて解説します。
徳川慶喜はなぜ戦わずに政権を返上し、江戸城を明け渡したのか。大政奉還、鳥羽・伏見の戦い後の大坂城脱出、江戸城無血開城の3つの場面を史料と研究者の見解で整理し、「敵前逃亡」と「内乱回避」に評価が分かれる理由を解説します。
茶々(淀殿)はなぜ父母の仇とされる秀吉の妻になったのか。小谷城・北庄城の落城から鶴松・秀頼の誕生までを年表で整理し、時期をめぐる黒田基樹説・福田千鶴説や「側室ではなく別妻」とする研究も両論併記で紹介します。