徳川家康はなぜ関ヶ原の戦い直後に豊臣を滅ぼさなかったのか|史実を整理する
関ヶ原の戦いで勝った徳川家康は、なぜ豊臣家をすぐに滅ぼさなかったのか。秀頼の65万石への縮小、官位の推移、千姫の婚姻、二条城会見、方広寺鐘銘事件まで、大坂の陣に至る経緯を年表と史料・研究者の見解で整理します。

関ヶ原の戦いで勝った徳川家康は、なぜ豊臣家をすぐに滅ぼさなかったのか。秀頼の65万石への縮小、官位の推移、千姫の婚姻、二条城会見、方広寺鐘銘事件まで、大坂の陣に至る経緯を年表と史料・研究者の見解で整理します。
黒田官兵衛は関ヶ原の隙に天下を狙ったのか。石垣原の戦いなど九州での実際の行動、『常山紀談』など江戸期の逸話の出どころ、研究者による再評価を、史料の確度ごとに分けて整理します。
石田三成はなぜ西軍をまとめきれなかったのか。三成は公式の総大将ではなく、毛利の不戦密約、宇喜多騒動、島津家の内紛など西軍内部の事情が重なっていました。諸説や後世の創作も区別して史実を整理します。
関ヶ原で西軍につき改易された立花宗茂は、なぜ大名に返り咲き旧領柳川へ戻れたのか。本多忠勝の仲介から棚倉1万石、柳川10万9200石への復帰までを年表で整理し、有名な逸話が史実か後世の創作かも出典の性格から見分けます。
真田信之はなぜ関ヶ原で東軍についたのか。本多忠勝の娘・小松殿との婚姻、犬伏の別れ、密談以前から決めていたとする平山優氏の指摘を整理し、小松殿の武装逸話など通説と史実の違いを研究者の見解とともに解説します。
黒田長政はなぜ関ヶ原で東軍についたのか。石田三成との対立、家康養女・栄姫との婚姻、小早川秀秋・吉川広家への調略という3つの流れを、一次史料と通説を区別して整理。父・黒田官兵衛の九州での動きや小山評定の論争も解説します。
宇喜多秀家はなぜ関ヶ原で西軍の主力となったのか。秀吉の猶子という立場、27歳での五大老就任、宇喜多騒動を経た家康との関係から、通説と創作を分けて史実を整理します。
島津義弘は関ヶ原でなぜ敗れても薩摩を守れたのか。家康本陣付近を突破した「島津の退き口」と、兄・義久と嫡男・忠恒による約2年の交渉で約61万石の本領を守った経緯を、後世の逸話と史実を区別して整理します。
秀吉の縁者で賤ヶ岳の武功を持つ福島正則は、なぜ関ヶ原で家康の東軍についたのか。石田三成との対立、小山評定の実在性論争、戦後の改易まで、史料の確度を区別しながら整理します。
大谷吉継はなぜ石田三成に味方し関ヶ原で散ったのか。奉行としての関係、佐和山での説得、動機をめぐる研究者の見方を史料で整理し、「膿の茶」逸話が後世の創作とされる経緯や最期の諸説も確度つきで解説します。